社会の狭間でニートを叫ぶ

最終学歴中卒、高等学校を2回中退。ゲーム暦20年、ニート暦4年。美しすぎる経歴のナウなヤングが送る雑記。

ソシャゲの課金も旅行も美味しいものも、等しく諸行無常な話

どうも、すっかりと時代に流されてしまったhkmです。

 

ゲームに課金するくらいなら、同じ金で美味いもんでも食う。

昔からの常套句ではありますが、ソシャゲが普及しきってしまったこのご時世、大差なくなっちゃいましたよね。

課金と美味いもの。

 

まぁ、かろうじて僕も「課金より美味いもの派」ですけど。

※「ソーシャルゲーム」の定義から多少ずれているであろう、スマホアプリゲームもこの記事では「ソシャゲ」としています。

何も残らないのに大金を使う

そもそも、ぱっと「ソシャゲの課金」と言われて伴うのが、

「リアルに一切反映されないものに、大金を使うなんて正気か」

という感情。

 

特に、モバゲー全盛のソシャゲ黎明期では、この兆候でした。

 

ともすれば、仮想世界のアイテムより、現実の食べ物や経験。

「その金で、海外旅行いけるじゃん」

なんて台詞も、ちらほら耳にしたものです。

 

が、冷静になって考えてみると、旅行だろうが食事だろうが、別に残るもんじゃないんですよね。

むしろ、ゲーム内アイテムが残っているソシャゲ課金の方が、後に繋がっているまである。

 

他人との体験共有に価値を感じていた

ただ、「食事」「旅行」といったお金のかかる行事は、「他人とのかかわり」が密接に関わっていて。

 

例えば、仲の良い人間と食事に行ったり。

例えば、旅行先で、素敵な人々と出会ったり。

 

そんな経験は、ゲーム内アイテムより何倍も価値のあるものでした。

いや、今現在でも、当然ゲーム内アイテムなんかより、輝いているものでしょう。

 

旅行などの素晴らしさが色あせている、といったことは全くありません。

が、ソシャゲが普及してきた昨今、ソシャゲとも「他人とのかかわり」が密接になってきたんですよねー。

 

ソシャゲでも体験共有できるようになった

今日日、ネコも杓子も、スマホにゲームがインストールされているんです。

特に、有名どころのゲームだと、同じゲームをプレイしている人だってごまんといるでしょう。

 

そうすると、何が起こるのか。

なんつーか、1人の課金で、複数人が盛り上がっちゃうんですよね。

特に、昨今で主流となりつつある「ガチャ」という商品提供システムって、結果がどっちに転ぼうが盛り上がっちゃう。

 

これって、感覚としては「他人と遊んでいる」訳で、経験としては、複数人での「旅行」や「食事」と大差無いのかな、とも思うんです。

 

食事とまるまる置き換えることはできないとしても、3万円の京懐石を400円の牛丼にして、残りの2万9600円を課金に使うのと大差ねーな、って。

 

課金によるアイテム入手は抵抗ある

とはいえ、課金という行為そのものに疑問は残るんですけど。

 

「ガチャ」という提供システムもどうかしてるし、市場におけるゲーム内アイテムの相場も頭おかしいし。

ゲーム内アイテムだって、向こうに一切の管理権がある以上は「データを買う」ことすら出来てないわけだし。せいぜい借りてるだけ。

 

どうかしている「ガチャ」

まず、そもそもの話、「有償ガチャ」とかいうアイテム提供制度は客を客として見てないよなぁ、と。

 

リアルにも「ガチャポン」などが代表するカプセルトイ文化はありますが、あれの中身って、相応のお金を払えば買えるような物ばかりじゃないですか。

買えるどころか、もっといい物も手に入ったりして。

消費者としては、「無作為な確率での物品購入」という行為に対して納得をしたうえで、なんならその行為に対してお金を払っているんです。

 

が、ソシャゲのガチャはそう甘くない。

 

ガチャの中身は、会社ごと買収でもしない限りは、いくら資本を積んでも確実に購入できなくて。

むしろ、ランダム性に納得は行かないまでも、中身の何かが欲しいから購入している場合が殆どでしょう。

 

様式としては酷似していても、本質的なところは間逆なのではないでしょうか。

……いや、買う奴がいるからまかり通ってるんだけどね?

 

市場の相場もどうかしてる

また、昨今のソシャゲ市場におけるアイテム相場もどうかしていると言って、過言ではないでしょう。

 

これまた黎明期と比べればマシになったとはいえ、平気で

「最も珍しい、有用なアイテムの排出期待額が50,000円」

なんてことが頻発しているんです。

 

そんな状況では、当然「10,000円で手に入った!ラッキー!!」なんて事案も乱立するわけで。

 

「相場」ですので、ユーザーとしては納得の上支払っているのでしょう。

消費者がその商品に価値を感じている以上、資本主義に生きる身としては、まぁとやかく言ってもしょうがない、のですが……。

 

「所詮データに金を払う」なんて言い方もありますが、これ、「所詮データ」にすら達せて居ないと思うので、やっぱり高いんじゃないかな、なんて。

 

大金払ってデータを借りれるだけ

どれだけ大金を積んでも、結局は先方が管理しているデータの利用権を借りれるだけ。

個人的に、一番気になるのはここなんですよね。

 

まだ、データや、その情報によって作られたソフトウェアを購入する、とかなら、全然納得が行くんですよ。

むしろ、良く出来たものであれば、中古車が買えるような値段だって納得できますし。

Adobeのソフトウェアなんかが良い例ですよね。

 

でも、ソシャゲのアイテムって、向こうのサーバーにのみ存在しているデータでしかないんですよ。

ctrl+cと、ctrl+vだけですぐ複製できるような小さいデータの、「利用許可」をいただいているだけ。

 

当然、サービスが終了すれば何も残りませんし、新興国家の貨幣のような儚さを感じるんです。

日本の春なんてメじゃないですよ、これ。

 

こんな商売がまかり通る世の中

こんな、客を人間として見ているのか疑問が残るような商売へ、借金してまで挑む方が居る。

歴史の浅い文化なので致し方ないとはいえ、もはや被害者と言っても過言ではない一部の消費者が不憫でなりません。

 

そう考えると、やはり何かしらのテコ入れは必要だと思うんですけどねー。

 

あ、お金が余っている方は是非、じゃんじゃん課金していただく方向で。

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